【音楽小説】fake flower
あらすじ
夜しか開かない花屋「nuit」で働き始めて半年が経った"私"は、次第に仕事にも慣れ、花屋での穏やかな生活を送っていた。少しずつ夕暮れが早くなってきた10月、いつもの様に業務をこなしていると、瞳を赤らませた女性がガラスケースに入ったお花を抱えてお店を訪ねてきた。そして彼女は赤らんだ瞳を潤ませながらこう言った____
「あの…このお花、まだ大丈夫ですよね?」
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小説本編
二十一時を過ぎ、人通りの少なくなったアーケード街を通り抜ける。信号を渡り、角を曲がると街は一気に繁華街の空気を纏い、私は足早に夜の街の賑わいから離れていく。ネオンから遠ざかり、街の香りは少しずつ落ち着きを取り戻し、私は自分の嗅覚が正常になっていくのを感じながら耳に付けていたイヤホンをゆっくりと外した。道沿いに並んだ店のほとんどがシャッターを下ろした中、優しく控えめなオレンジ色の光が見え始める。「nuit」と書かれたアンティークの看板と西洋風の外観にアイビーの蔦が絡まった平屋建て、ここは"夜しか開かない"私達の花屋(みせ)だ。
「おかえり」
いつもの様に茶色のエプロンを身に纏った彼が、出勤した私にくれる挨拶の言葉。装飾のない素直な温かみを持っていながら、どこか声には冷たさを感じる、そんな不思議な声色。
二十二時、店が開く。夜しか開かない花屋だ、開店しても客が雪崩こむことはなく、時計の針はゆっくりと時間を刻んでいる。店内の音楽と彼が花の切り戻しをしている音だけがこの空間に響いている。開店して一時間が経ち、私が生花保管用ストッカーのバケツの水換えをしていると店の扉が徐に開いた。一人の女性がゆっくりと扉を開けて、扉の方を振り返りながら丁寧な動作で扉を閉める。
そしてこちらに視線を移した瞳はどこか赤らんで見える。
「あの…このお花、まだ大丈夫ですよね?」
彼女の手には丸いガラスケースに入った花が大切に抱えられていた。私はそれが何か分からずにじっと見つめていると、隣に来た彼がいつもの落ち着いた口調で言葉を返した。
「大丈夫ですよ、大切に保管して頂いているみたいなので」
彼の言葉に女性はゆっくりと胸を撫で下ろした。
「せっかく来て頂いたので、メンテナンスでも致しましょうか。温かい珈琲を入れるので店内でも見ながら待っていてください」
女性は弱々しくも切実に微笑んで見せた。私は話の経緯が気になり、彼に事情を尋ねた。
「一年前くらいかな、プロポーズに使った花束を夫婦でここに持ってきたんだ。このお花をずっと枯れないようにできませんか、って」
ガラスケースの中に入った花のメンテナンスをしながら、彼は私に一年前の出来事を話し出した。
「実際にあるんだよ、花を押し花やボトルブーケにして保存する方法が。数年から数十年にかけて、枯らさずに保存できる」
私は初めて耳にした情報に驚きながらも、さっきの女性の表情を思い返していた。
「一年しか経っていないし、状態も良さそうだったのにここに来たって事は相当心配なのかな」
私がそう言うと、彼は何かを考えるように上を向いて微笑みを浮かべた。
「きっと、目に見えるものじゃないんだと思うよ。彼女にしか分からない理由で傷ついている様に感じたんだろうね。花束の加工をお願いする時に何度も確認されたよ。本当に何年も綺麗なままで保存できるのかとか、長持ちさせる為に何を注意すればいいのかとか。少し心配しすぎなくらいには、この花束の意味を大切にしたいんだろうね」
一年前の二人の事を思い浮かべながら話をする彼の瞳はどこか遠くを見つめていて、私はそれに見惚れていた。そして彼は再び口を開いた。
「絶対枯れないよ、って言われていて駄目になってしまった時の方が辛いと思うからね」
火にかけていたポットのお湯が湧いて、彼は女性に渡す珈琲の準備を始めた。私は彼女の事が気になり、存在を視線で追いかけた。彼女は丁度、棚の上のバケツに並べられた青い薔薇を見つめていて、私は言葉を選びながら声を掛けた。
「青薔薇、気になりますか?」
彼女は私の方を見つめて、唇を真一文字に引き結んで言葉を続けた。
「夫が青色が好きで、プロポーズの花束にも青色の薔薇を使っていたんです。プロポーズってピンクとか赤色の花束をイメージしていたんですけど、私がピンク色が好きだから、ピンクの薔薇で、夫は青色が好きだから青い薔薇、花束になった時に僕等みたいでいいじゃないか、って」
女性は視線を落として浅い呼吸を挟み、また言葉を続ける。
「彼らしい考え方だなって思った。でも、それと同時にこの花束が二人みたいだって言われたら、枯らせたくないなって思っちゃって。ずっと綺麗に咲いてくれたらいいのに、って言っちゃった。そしたら、その日の夜に彼がたまたま長く綺麗なままで保存できる方法をネットで見つけて、夜のうちに花束を預けられるこのお店に出会ったの」
幸せそうに話す彼女の表情の中で、瞳だけが一縷の翳りを潜めているように思えた。私は黙って彼女の言葉を待った。すると、彼女は言葉を紡ごうと揺れる唇をゆっくりと開き、私の目を見て、こう言った。
「何年も綺麗に保存できる加工だって分かっていても、元は生花だから、絶対なんてあると思えなくて。できるだけ長く綺麗なままで居られるように直射日光を避けたり、湿気の少ないところに移動させたりとか、 私は普段から気にかけてて。でも、そういうのも私だけなのかなって、彼も最初は気にかけてくれていたけど次第に気にしなくなって、なんか、私ばっかりだなって。そう思ったらプロポーズの日の事を思い出して、なんだか切なくなっちゃった」
「彼は青色で私はピンク色。どこまでいっても私たちは違う人間だから。私にとってはまだ生きている花でも、彼にとっては"造花"のようなものなんだと思う。もうちゃんと加工保存してもらったからお世話しなくていいやって、きっとそう思っているんですよ。色が違う様に考え方も違って、私が重く考え過ぎちゃってたんだと思う。反対に彼は何も考えていないんだと思います。私がこの関係を繋いでいく為に毎日考える言葉も、一年前のプロポーズも。でも…それでも、この花だけは私がちゃんと綺麗なままで居させてあげないと」
撫でるように青い薔薇に触れ、彼女は私に微笑みかける。その笑顔がどうにも痛々しく、私は掛ける言葉を探している。すると、流し台から彼が顔を出し、こちらへ近づいてきた。
「珈琲をお持ちしました。ご主人から奥様は珈琲を飲む時にミルクを入れると伺っていたので先にミルクを入れてます」
女性は眉を上げながら不思議そうに聞いた。
「いつ彼がそんな事を?」
「ご主人、一ヶ月に一度ここに来てくれているんです」
彼女はまだ理解が追いついていない様子で彼の事を見つめている。私も初めて聞いた事で驚きを隠せなかった。
「奥様が今日お持ちになったお花、ご主人が毎月ここへメンテナンスに持ってきてくれています。埃を取り除いたり専門的なケアをお願いしたいとの事で。僕は不器用だから壊しそうで心配だと、そうおっしゃってました」
彼女は呆気に取られたような表情を見せ、彼の方を見つめている。彼は変わらない表情を見せながらも、私にはどこか嬉しそうに見えた。手に持っている珈琲を彼女の目の前にあったテーブルに置いて、彼は再び話を続けた。
「このお花を加工した一ヶ月後、開店前の二十時頃でした。たまたま僕が開店準備をしている時、ご主人にお会いして、その際に定期的なメンテナンスをお願いされました。恥ずかしいからなるべく奥様にバレたくないとの事だったので、奥様が仕事に出られている時間で、かつ開店前の時間を僕の方から提案しました」
彼女の瞳が少しずつ潤んでいくのを見て、私は彼女の中で出来事の辻褄が合っていくのを感じた。
「ご主人、本当は知っていたんですよ。花束を長く綺麗に保存できる加工がある事も、このお店が夜遅くまで開いていて、その加工ができるお店だという事も」
長く美しい睫毛が煌めいて、彼女の瞬きをする速度が上がる。頬を伝う雫がゆっくり重力に身を任せて、床に落ちる。雨の粒が花びらを伝う様に優しく。
「一世一代の花束を当店にお任せいただき、ありがとうございました」
切実な響きだった。私は彼と同じ様に深く頭を下げる。それに応える様に彼女はゆっくりと頭を下げ、「こちらこそ」と言い、十秒程、顔を上げなかった。その後、零れ落ちる雫を誤魔化す様にマグカップを手に取った。
「せっかく珈琲入れてもらったのに、冷めちゃった」
彼女が見せるカップを使って深く顔を隠す仕草が、女性の私から見ても可愛らしかった。その後、お花のメンテナンスが終わり潤んだ瞳で満面の笑みを浮かべる彼女は今、この世界で一番美しい女性なのだと思った。
午前八時、閉店時間になり、私は昨日の夜の出来事を思い返していた。
「それにしても、プロポーズの花に青薔薇とピンクの薔薇って、店長は何も言わなかったんだね。あまりない組み合わせなのに」
彼は店の看板を店内に片付けながら、言葉を返す。
「まぁ、ご主人が希望されていたからね。それに…」
何かを言いかけて、彼は一呼吸置くと私の方を見て優しく微笑み、こう言った。
「青薔薇は、花言葉が『不可能』から『奇跡』に変わったお花だったから」
不意に朝日が差し込み、彼の表情がボヤけていく。その姿を見て、私の脳裏に誰かの面影が浮かんだ。
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著者:高嶺 理想
